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ブライアクリフマナー(、)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の南部、ウエストチェスター郡の郊外村であり、ニューヨーク市の北約30マイル (48 km) にある。ハドソン川の東岸に広さは5.9平方マイル (15 km²) あり、地理的にはマウントプレザントとオシニング各町の中に入っている。村内にはスカボローとチルマークの地域社会が入っており、メトロノース鉄道ハドソン線のスカボロー駅がある。村内で広さ376エーカー (152 ha) ある建物と家屋のある地区はスカボロー歴史地区に属しており、1984年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。村のモットーは「2つの川の間の村」であり、ハドソン川とポカンティコ川に挟まれているその位置を反映している。ポカンティコ川はマウントプレザント町とオシニング町の町境だが、ブライアクリフマナーはその法人化以来マウントプレザントの中に広がってきた。 先コロンブス期に現在ブライアクリフマナーがある地域には、ワッピンガー族インディアンの1バンドが住んでいた。19世紀初期、この地域はウィットソンズ・コーナーズと呼ばれていた。ウォルター・ウィリアム・ローがこの地域に入って来て、1890年代に土地を購入した。ローが村を開発し、学校、教会、公園を造り、ブライアクリフ・ロッジを建てた。ブライアクリフマナーは1902年に村として法人化され、2002年11月21日には設立100周年を祝った。設立時に331人だった人口は、2010年で7,867人にまで増加した。 ブライアクリフマナーは主に住宅地であり、住民は比較的裕福である。レクリエーション施設と公園の総計で180エーカー (70 ha) あり、すべて住民に公開されている。キリスト教の諸会派の教会が7棟、ユダヤ教のシナゴーグが2棟ある。最古の教会は1851年に建設されたセントメアリーズ聖公会教会である。ブライアクリフマナーは選挙で選ばれる役人による村政府があり、組織としては警察署、消防署、レクリエーション部、公共事業部がある。犯罪率は低く、2012年の調査では、州内で2番目に低い自治体だった。ニューヨーク州議会下院では、第95選挙区と第92選挙区に入り、上院では第38選挙区と第40選挙区に入っている。アメリカ合衆国下院ではニューヨーク州第17選挙区に含まれている。 == 歴史 == === 村名の由来 === ブライアクリフマナーの最初の開拓地はウィットソンズ・コーナーズと呼ばれていた。これは、付近の合計400エーカー (160 ha) の隣接する農園を所有していたジョン・H、リチャード、リューベンのウィットソン3兄弟にちなむものだった〔〔。ウィットソンズ・コーナーズとは、プレザントビレッジ道路とサウスステート道路の交差点を指しており、そこにはジョン・H・ウィットソンの家であるクロスウェイズが1820年から1940年代まで立っていた。現在、ブライアクリフ会衆派教会牧師館がその場所に立っている〔。隣接するスカボローの地域社会はまずウェスコラと呼ばれ、1864年に改名された〔。このスカボローが1906年にブライアクリフマナーに統合された後、ニューヨーク・セントラル・アンド・ハドソン川鉄道が、スカボロー駅に「ブライアクリフ・ウェスト」という表示を付けた。それから間もなく、スカボロー住民のその地名に対する誇りのなせるわざか、新しい表示はハドソン川に投げ入れられ、元のスカボローという駅名表示が付けられた〔〔。 ブライアクリフマナーという名前はまず「ブライア・クリフ」から来ており、これは英語の「ブライア」(茨)と「クリフ」(崖)の合成語である。元々は、ジェネラル神学校のキリスト教史学教授ジョン・デイビッド・オジルビーの一族の故郷であるアイルランドにその地名があった。オジルビーはアイルランドにある家にちなんで、ニューヨーク州の夏の家に「ブライアクリフ」と名付けた。1890年、ウォルター・ローがジェイムズ・スティルマンの広さ236エーカー (96 ha) の農園を購入し、そこをブライアクリフ農園と命名した。さらに後にはその資産の全てに「ブライアクリフ」を付けた。ローの友人であるアンドリュー・カーネギーがローを「ブライアクリフ荘園(マナー)の地主」と呼んだ。この肩書が関係者全てに訴えるものがあったので、村は「ブライアクリフマナー」と名付けられた〔〔。1897年までに、村の郵便局と鉄道駅はブライアクリフマナーの名前を持つようになっていた〔。村とその名前は1902年9月12日に行われた住民投票で承認された。村名について他にも「シング・シング・イースト」が提案されていた〔。1902年11月21日、ブライアクリフマナーの村が設立された〔。 この村は他に幾つかの名前でも呼ばれている。会話上は「ブライアクリフ」とだけ呼ばれ、綴りは "Briar Cliff Manor" と書かれることが多い(昔から特に区別が無く同じ意味で使われている)〔〔〔。マーク・トウェインやアイリーン・リギンからは「ブライアクリフ・オン・ザ・ハドソン」と呼ばれてもいた〔〔。また「ブライアクリフマナーのビレッジ」という呼び方もあった〔。ブライアクリフという名前は例えばサウスカロライナ州の人口470人の町ブライアクリフ・エーカーズなど他の町にも使われており、その町の設立者がこのブライアクリフマナーの名称からヒントを得たものだった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブライアクリフマナー (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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